今時計を見たらまったくの偶然ですが、午後2時46分。明日は、あの日から10年目の節目の日です。あの時私は前任校(八王子)の職員室で採点をしていました。ちょうど学年末考査の二日目で金曜日。大半の生徒は下校もしくは下校途中、学校で勉強していた生徒は60名ほどいたように記憶しています。たまたまその日、管理職をはじめ多くの教員が午後から23区に出張していました。突然の大きく長い揺れに、これはいつもと違う揺れであることにすぐに気が付きました。すぐに生徒を一か所に集めて在校中の生徒の確認。私は、薬品庫や理科準備室の確認。TVをつけると津波の映像、パソコンを立ち上げるとツイッターでリアルな情報が。JRも止まり生徒も家族も帰宅困難者。修道院では帰れない生徒のためにおにぎりを作りパンなどを買い出しに。次の日から突然の休校でした。もちろんテストの続きもなく、卒業式も修了式もありませんでした。計画停電で一日の内数時間の電気の供給のストップ。駅もコンコースも電灯は半分だけ。道路の信号も消えました。暗かったです。1か月ぐらい校庭の隅で毎日ガイガーカウンターを使い放射能測定の係もしました。
「思いは見えないけれど思いやりは見える」のコマーシャルが繰り返し、繰り返し流れていました。アンパンマンの歌に元気をもらったりもしたのですが、「〇〇〇〇〇」の歌は、あの時のリアルに見ていた津波の映像と一緒になってしまい、今でも最後まで聞くことができません。八王子にいて感じたあの心の痛みは地震と津波と原発の事故にみまわれた方々の辛さとは比べものにはならない(比べてはいけない)と思っているのですが、それでも忘れることのできない衝撃的なものです。
あれから10年、九州でも豪雨や台風、地震いろいろな災害が起きました。節目の時はやはり大事なのだと思います。被害の状況を映像でしか知らない私たちに何ができるのだろう、何かできることはないだろうかといつも考えています。
明日の4時間目終了後は「東日本大震災被災者のための祈り」(日本カトリック司教協議会認可)を放送に合わせて祈ります。私はせっせと花を育てます。
posted by 鹿児島純心女子中学・高等学校 校長 at 18:30|
日記
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