やわらかな風に モクレンや菜の花も咲き始め、心華やぐ季節を迎えました。この佳き日に、PTA会長様にご臨席いただき、鹿児島純心女子高等学校、第七十二回、卒業式を挙行できますことを大変うれしく思い在校生、教職員を代表してご挨拶申し上げます。PTA会長様、ご多様な中、有難うございます。
保護者の皆様におかれましては、お嬢様と共に過ごされた三年間、特にこの一年は、様々なご心配がおありだったことと拝察いたします。これまで、お嬢様をいつくしみ育て、支え、励まして来られたことに敬意を表すとともに、本校の教育活動にご協力、ご支援をいただきましたことを心より感謝申し上げます。
さて、ただ今、卒業証書を手にされた八十六名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。今年度は言うまでもなく「新型コロナウィルス」の対応に明け暮れた一年でした。思い起こせば、昨年の三月の休校から始まり、春の遠足やバザーの取りやめなど異例尽くしの一年間でした。世界中が、突然やってきた「パンデミック」に動揺し、当たり前が当たり前でない生活を強いられました。この科学技術が進歩した時代にあって、私たちがなしえたことは、「手洗い、うがい、マスク、外出を控える」といったきわめて原初的な対応でした。 そして、リモートでも人はつながることができ、つながることが喜びであることを実感いたしました。
また、「新型コロナウイルス」に向き合いながら、医療の問題、経済の問題、「偏見や差別」は大きな課題となり、身近な問題としては学校の果たす役割や学習方法や、いわゆる日常とは何かなど多くの課題がつきつけられました。純心で学んだ皆さんには、「攻撃」や「排除」など「人を分断する」という価値ではなく、「思いやり」や「優しさ」など「人をつなぐ」という価値の移行によって、よりよき社会を創る人になって欲しいと願っています。
覚えていらっしゃるでしょうか、全国の高校球児の夢の舞台「夏の甲子園大会」が中止になり、春の選抜大会に出場が決まっていた三十二校が甲子園で一試合ずつ対戦するという交流試合が行われました。その開会式の選手宣誓は次のようなものでした。
新型コロナウイルスとの戦いや、度重なる大規模な豪雨災害からの復旧・復興など、厳しく不安な状況下で生活している方もたくさんおられます。このような社会不安がある中で、都道府県の独自大会、そしてこの2020年甲子園高校野球交流試合を開催していただけることによって、再び希望を見いだし、諦めずにここまで来ることができました。一人ひとりの努力が皆を救い、地域を救い、新しい日本を創ります。「創造・挑戦・感動」。今、私たちにできることは一球をひたむきに追いかける全力プレーです。交流試合の開催や、日々懸命に命、生活を支えてくださっている皆様への感謝の気持ちを持ち、被災された方々をはじめ、多くの皆様に、明日への勇気と活力を与えられるよう、選ばれたチームとしての責任を胸に最後まで戦い抜くことを、ここに誓います。」
何とか夢の舞台で試合をさせたいという主催者の思いと感謝をもって応えたい、自分たちに与えられた環境の中でひたむきに取り組むことによって、日本中のコロナや災害で苦しんでいる人たちに元気を届けたいという選手の思いがそれぞれつながり、今までにない温かい記憶に残る大会になりました。
純心でも、この一年、中止ではなく、できる方法でと生徒会や先生方で知恵を出し合って模索し、新しい行事、新しい方法を創り出してきました。その一つが体育祭です。本年度全校生徒が一堂に会する初めての行事が体育祭でした。体育祭は台風十号の接近のため当初の予定を一日繰り上げての実施となしました。しかもその前夜も雨で、グランドコンディションが心配され、ぎりぎりまで、判断に迷うところではありましたが、三年生の「超大型台風を吹き飛ばす勢い」に、当日は青空が広がりさわやかな風も吹き、異例尽くしの中、三年間の経験を生かしたリードで進行していきました。
皆さんのマスゲームは実に感動的でした。クラス毎に異なる色のフラグを手にした躍動感にあふる力強いもので、数分間の演技の中で見た皆さんのあふれんばかりの笑顔に、未来を切り開いていく頼もしさを感じ、心からの拍手を送りました。「できないこと」を挙げれば キリがありません。しかし、「できること」に目を向けて、 みんなで知恵を絞れば、新しいアイデアが出てくるのです。
コロナ後の望ましい「ニューノーマル」社会とは、創造力を持ち合わせた多様な人材がイノベーションを起こす、失敗への許容力が高い社会、自由度の高い働き方や暮らしを実現して豊かさを感じられる社会、デジタル化の恩恵が享受でき、共助の価値が大切にされ、多様な人々にセーフティネットが提供される社会、グローバルにも貿易や投資のメリットを享受できる社会であるといわれています。
昨年大流行した、鬼滅の刃に登場する竈門炭次郎(かまどたんじろう)は、「生まれたときはだれもが弱い赤子だ、誰かに助けてもらわなきゃ生きられない。おまえもそうだよ。記憶はないかもしれないけど 赤ん坊の時、お前は誰かに守られ助けられて今生きているんだ。強いものは弱いものを助け守る。そして弱いものは強くなり また自分より弱いものを守るこれが自然の摂理だ」 と 強いものが弱いものを守る使命があると語っています。
人は完全無欠だからすごいのではなく、どの命も等しくかけがえのないもの、弱いからこそつながりあうのです。
第四六代アメリカ大統領ジョー・バイデン氏の就任式で読まれた、アマンダゴーマンさんの「私たちの登る丘」という詩は、次のような言葉で結ばれています。
光はいつもそこにある
私たちにそれを見る勇気があれば
私たちに光になる勇気があれば
皆さんは、これからの社会の中でかけがえのない命を大切にし、人にやさしく、賢く、たくましく生きるための術を 「純心の二十一世紀型教育」で学びました。どうか勇気をもって自信をもって歩み続けてください。
私たちの母であるマリア様が、皆さんと皆さんのご家族をいつも見守ってくださいますよう願いながら式辞といたします。
令和三年三月一日
鹿児島純心女子高等学校
校長 久松久美子

