
歴代教皇2回目の訪日、38年ぶりの日本訪問(11/23〜11/26)でした。
長崎で行われたミサ(11/24)にも、鹿児島純心からセシリア会、生徒会の生徒・教職員・保護者の希望者等、54名が参加しました。その日、長崎は雷も鳴る激しい雨との予報でしたが、私たちが長崎に着いた11:00過ぎには、雨は上がっていました。
教皇様はミサの中で「長崎はその魂に、癒やしがたい傷を負っています。その傷は、多くの罪なき者の、筆舌に尽くしがたい苦しみによるしるしです」、「今ここで、一つの祈りとして、私たちも声を上げましょう」と語られました。奇跡的な青空、照り付ける日差しから目を覆いながら聞いた教皇様の言葉を心に刻んだ感動の一日となりました。
姉妹校長崎純心の生徒や先生方が、ボランティア、聖歌隊、場内誘導などで大活躍。私たちも学校の構内を駐車場としてお借りしました。お世話になりました。
保護者の皆様には、早朝、そして夜遅い時間に生徒の送迎をしていただき、ごミサに心を合わせてくださいました。本当に有難うございました。
教皇様のメッセージをこれからゆっくりゆっくり味わい、生徒たちとともに次の一歩につなげたいと思います。
<平和のための祈り> 作詞:山本直純、作曲:山本直忠
ああ主よ、我をして御身の平和の道具とならしめよ
我をして憎しみのあるところへ愛をばもたらしめよ
争いのあるところに赦(ゆる)しをば
分裂のあるところに一致をもたらしめよ
疑いあるところに信仰を、誤りあるところに
真理をば、絶望のあるところへ希望をもたらしめよ
悲しみのあるところに喜びを
闇のあるところに光をもたらしめよ
ああ主よ、我をして慰めらるるより慰むることをば
求めしめよ、理解さるることより理解することをば
愛さるることより愛することを
我に求めさせたまえかし
そは、我ら自(みずか)ら与うるが故我らに神より
与えらるるなり、赦すが故に赦さるるなり、
己が身をば棄て死するが故に
永遠(とわ)の生命(いのち)をば得(う)るものなればなり
(アシジの聖フランシスコ)









