2020年11月28日

苦しみにあったことは

苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。                           私はそれであなたのおきてを学びました。(詩編119:71)
後になってわかることはよくあることです。しかしながら苦しみや辛いこと困難に直面している人に言葉をかける、寄り添うといったことの難しさをいつも感じます。
 今日は、空気が冷たく、いよいよ冬を感じます。冬で浮かんでくる詩を2つ。

「冬が来た」             高村光太郎
きっぱりと冬が来た  
八つ手の白い花も消え  
公孫樹(いちょう)の木も箒(ほうき)になった  
きりきりともみ込むような冬が来た  
人にいやがられる冬草木に背かれ、
虫類に逃げられる冬が来た  
冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、
冬は僕の餌食(えじき)だ  
しみ透れ、つきぬけ  
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のような冬が来た

「冬がきたら」            坂村真民
冬がきたら 
冬のことだけ思おう
冬を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
冬のたましいにふれ 
冬のいのちにふれよう 
冬がきたら 
冬だけが待つ 
深さときびしさと 
静けさを知ろう  

凛として生きたいものだなあ。

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posted by 鹿児島純心女子中学・高等学校 校長 at 17:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月24日

待降節を前に

小さな世界に住んでいても
せめて周りの人々を愛し
大切にする心を失わないように
      (シスター江角の言葉より)

 高校は今日から(一部は土曜日から)、中学は明日から学期末考査です。今日は、部活動もなく、しばし静かな学校です。そして期末考査が終わるとすぐ12月、師走です。
 カトリック教会では来週の日曜日から待降節が始まります。待降節は幼子イエス様の誕生を迎えるためによい準備をして待つ期間という意味です。今年は、ステンドガラスにチャレンジしようかなと思っています。コロナウイルス感染の先が見えない中、クリスマスの意味を考えた暖かい心の交流のある待降節を過ごしたいものです。

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posted by 鹿児島純心女子中学・高等学校 校長 at 19:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月20日

祈りの場

(そのとき、)イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。
『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。
 ルカによる福音書 19:45-48

上は、今日のミサで読まれた福音の個所です。
神殿とは祈りのための場所、純心でいうと学園聖堂です。私はほぼ毎日約3時間を聖堂で過ごします。皆で祈る時間もいいなと思いますが、一人でゆっくり祈る時間がもっと好きです。
好きな場所は、きれいに整えたくなります。私は、純心が大好きです。だから、きれいな純心にしたいなといつも思います。明るくて朗らかで優しい雰囲気の漂う学校、活気にあふれた学校、創造性にあふれた学校。心こそきれいであって欲しい。そんな学校を目指しています。

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posted by 鹿児島純心女子中学・高等学校 校長 at 19:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする